医学部6年のタカパラさん。

なんて生きにくい、この世界の中で。医学生やってます。

f※※kがたくさん

したっぱのうちは苦労しろとかいうけど、それは本心から言っているのかどうか気になっている。

ボクはそのようにはとうてい思わないし、避けられる苦労は避けるほうが良いと思っている。

 

何がf※※kかというと数え切れ無いほどあって、上の立場の人間に対して機嫌取りをさせられたり、金が支払われ無いのに無駄に拘束させられたり、半分ぐらいの医者が寝ている無価値なカンファに人数合わせのために参加させられたり、新しい診療科で実習が始まって集合したにも関わらず学生を無視したり、など要するに無数に存在する。

 

他の友人に腹がたたないかと聞いても、ムカつくけどそういうものだと考えていると言う人ばかりだ。

確かにそういう風に受け入れてしまえば楽だし、心に波風がたたないかもしれない。

それに儒教文化では目上の人が偉いし、従うべきなのである。

出世?できるのもこういう人なのだと思う。

 

しかし、自分が根源的にオカシイと思った事を受け入れてしまえば、その後の人生の方向性も狂ってしまう、という文章を読んだ記憶がある。

自分が自分にしかできないことがあるかどうかはよくわからないが、この部分は侵さずに今のところは保っている次第である。

FF15クリアしました。(医学のことじゃないよ)

FF15クリアしました。

プレイ時間は28時間程度でした。

ボクとしては全体的に楽しめましたが、Amazonで色々と酷評されていて若干驚いています。

確かに自分としても前半はかなり盛り上がっていてかなり良かった気がしましたが、後半は失速気味でしたね。

伏線も未回収のものが多かったし。

シナリオライターが女性だったらしく、ホモ臭さが時たまに鼻についたりも笑。

あとローディングは長く冗長でした。

クリア後にサブクエストやろうと思ってましたが、ローディングの多さに心をおられかけてます。

だけど、戦闘は操作していてかなり面白いし、序盤のシナリオはかなり良かったし、映像はかなり綺麗です。

デメリットを上回る欠点がたくさんあったのではないかなと思いました。

 

なんだかんだでボクはゲーム好きだと分かったので、これからもやっていこうかなと思いました。

もっと建設的なことに浸れれば、有意義なのでしょうが、何も趣味がない方が問題なので、これでいいのだと思いました。

 

お題「マイブーム」

Cyclothymia or Bipolar II or something.

最近はやたら気が滅入ってブログを書く気力も無かった。
些細な原因は普段通りにいくつもあるが、季節による影響が大きいと思う。
例年12月に入ったぐらいの時期にいつもこんな状態になってしまう。
大学に向かう元気も頑張って絞り出している感じである。

 

自分はどこか双極性障害か気分循環性障害みたいなところがある。
もしかしたら性格なのかもしれないけど、暗い気持ちを吹き消そうと快活にふるまおうとする嫌いがある。
このような行動を躁的防衛と言うらしい。
そのせいで疲れてしまっているのかも知れない。

 

お題「今日の出来事」

看護師・医師などの資格職の罠

みじめだという印象を彼女たちに対して持っていた

 

ごく少量のもやもやしたことは手に余るほど存在するけど、濃度が薄すぎて書くことができずにいた。

だけど、書くことは気分転換になるし、自分を見つめることになる気がするので書くこととした。

 

自分にとって金を稼ぐ才能が無いと自覚していたから、手に職をつけようと医師を選択した。

医学部に落ちていたら薬学部に行っていたと思う。

結局は日本でかなり強いと言われている資格職だ。

 

ボクの友人は結構な人数が専門学校を卒業して、看護師になっている人がいた。

彼女たちの話を聞く限り、職場や学校では人として扱われるのでは無く、看護師という資格として扱われていて、人間としてはみられていないという印象を私は持っていた。

そのため、みじめだという印象を彼女たちに対して持っていたが、年を経る度にそれは自分にも同様に適応されると感じてきている。

 

均質性が求められ、到達地点が明確な分野だが、自分にも達成できると考えて選んだが、最近はそういう分野を選んでしまって窮屈な感じを受けている。

こうなるのであればアートや、人文学などを選択すれば良かったと考えている。

教員たちも、学生やレジデントを尊重することは無く、ただの手下として扱っている。
そういった組織で立ち回るためには、媚びるか、サボタージュなどの消極的な反抗ぐらいしかない。

反抗は人によっては思いがけないしっぺ返し喰らうことが度々あるので、最近は胡麻を擂っている。

賛美をすれば自由になれる。

 

ボクには大学病院で出世していく自信が無い。

こんな大きな組織にいると押しつぶされて窒息してしまう。

あと1年半で自由になれるから、それまでの辛抱と考え日々耐えている。

 

お題「私のトリセツ」

受験勉強と言う名の投資

ぼくの部屋には机が無かった

 

勉強というのも投資の一部だと考えられている。

特に受験勉強は最も効率の良い投資の一つで、しかも資金も必要なく、必要なのは時間だけだという特殊性がある。

なら、時間が有り余って仕方が無い貧困層の受験生が有利であるかと言えば、全くそのような訳はなく、やはり富裕層が有利であるのは数々のデータから明らかである。

いくつか理由は考えられるが、以下の2点が大きいのだと思う。

 

1. 受験ノウハウの不足

2. 学習環境の不備

 

1. について。

ノウハウと言っても色々あるが、参考書の選択にしろ、模試の受験方法にしろ、一般の進学校では自然に身についている知識が欠けていることが多い。

数学ならチャートか1対1、理科なら重要問題集を解くだけで医学部ならどこでも合格する。

 

と言われるが、「解く」という言葉自体の意味も難しい。

どういう段階で始めて「解く」と言えるのか、一度だけ解けたら良いのか、復習の頻度はどれくらいか、などの細かい知識を埋めるには深すぎるギャップが存在する。

 

 

2.

ぼくの部屋には机が無かったし、落ち着いて勉強できる状態では無かった。

だったら図書館へ行けば良いかと言えばそうではなく、大抵の公営の図書館は自習が禁じられている。

だから勉強するためには学校に18時まで残るか、公民館へ行くしかなかった。

授業は16時半ぐらいに終わるが、1時間半程度では少なすぎるし、公民館へ行くには自転車で20分程度かかる距離だった。

バイトして学費を稼げと言われるほど貧困では無かったが、参考書が欲しいというと小言を言われる状況だった。

そのため、Book Offで揃えることが多かった。

 

 

それでも受験格差はインターネットのおかげで狭まりつつあると思う。

情報の質はピンキリだったが2ちゃんねるが役立ったし、そのリンク先はかなり役立った。

パソコンが無ければ今の自分は存在していないと言える。

このおかげで気軽に情報が手に入り、世界が個人個人の手のひらに収まりつつあると言っても過言ではない。

情報の格差が狭まれば、本当に能力がある人が発掘される時代になりうる。

無味乾燥な受験勉強が長けている人が評価されることより、能力が素晴らしい人が評価される方が(困る人はいるだろうが)論理としては整合性がある。

気が滅入る

そういう気持ちは穴の空いた風船の様に飛び去ってしまった。

 

最近は色々上手く行かないことが多くて憂鬱である。
自分の場合、精神的な不調が他の部分へも悪影響を与えてしまっている。
最近は実習に対してもサボタージュ気味になってしまってレジデントを怒らせてしまった。
2週間程度で他科へローテーションし、人間関係はリセットされるとは言え、良い思いをするわけは無い。
怒らせたこと自体も確かにそうだが、それだけではなく、自分が愚かだということを否が応でも認識させられて気が滅入ってしまう。

 

入学前は外科をバリバリやりたいと吹聴していたが、実習が始まって以来、医療職というものの厳しさを知ってそういう気持ちは穴の空いた風船の様に飛び去ってしまった。
結局のところこういった発言も自分の弱さを隠そうとする強がりの一部だったのだと思う。
実際は精神的にも弱いし、体力も心配がある。
しかも僕は腰が弱いのだ。
外科をやっていけるわけが無い。

水たまりの底で

自分はどこか底深い水たまりの中に沈んでいて、上空から微かに照らす光を求めているという自己心象がある。

 

稀に真面目な話をされたときに意見を求められるが、誰にでも考えられるような無難な意見を返してしまう。

将来の進路として、「出世しなくて良いし、そこまで頑張る必要は無いと思っている」という彼女に対して、「まあ人それぞれだから」と言った感じにつまらなく返してしまった。

机上での勉強はそれほど不得手では無いが、その場その場での思考力は低いということを思い知らされる。

自分の発言が自分の本心と乖離していてたちが悪いと思うこともある。

普段はふざけたことしか言っていないし、そうしたことで自分の気持ちを盛り上げようとしている感はある。

しかし実際にそうすることで浮上することは殆ど無いし、その現場を振り返ったときに自らの心象との格差に失望してしまう。

最近は自分が人に対してどのような発言をすれば良いかということさえも忘れつつある。

くだらない方向へばかり進んでしまっては意味がない。 

ただ、このような自分を隠すような振る舞いは、以前育ってきた環境で周りの人間が荒廃していたことから覚えた処世術だといえる。

今の環境は昔と比べて恵まれているし、行動を変える良い機会では無いかと思う。

 

自分はどこか底深い水たまりの中に沈んでいて、上空から微かに照らす光を求めているという自己心象がある。

結局は普段からまともな行動をしてまともな発言をして地道に進むのが良いとは最近は思っている。

振りかえると、以前受けた精神科の授業で同級生に認知行動療法をやってもらって思いがけず光が差し込んだことを覚えている。

見つけることは私にとってはかなり難しいのだけど、真面目に話することに値する人に、真面目に関わるのが良いのでは無いかと考えている。

 

お題「これって私だけ?」