医学部6年のタカパラさん。

なんて生きにくい、この世界の中で。医学生やってます。

ラオスに行ったらマラリアで死にかけた話。

4週間ほど海外旅行してました。

マラリア蔓延国で、いきなりの発熱はかなりビックリします。
いきなり高熱が出現して、当日中に解熱する熱型だったので、足りない頭で一番に閃くのはマラリアではないかという事で、病院で診てもらおうか真剣に迷いました。
黄疸、脾腫、肝腫大が無かったのと、ラオスの医療レベル(採血で肝炎もらったりもありえる?)を考えて、とりあえず様子見してたんですけどね。
まあ結局無事っぽかったんですが。

 

ラオスは文明化された地域と、伝統的な生活(高床式住居、川の水で洗濯したり)をしている地域があって、棲み分けしているように見えました。

伝統的な暮らしをする、つまり不便で悲愴さがあると考えていたのですが、ぱっと見た感じではそんな感じは全くなく、むしろのびのびと生活しているように見えました。

今の日本をみると物質的には恵まれているとは思うのですが、そういう精神的な豊かさが欠けているのではないかと思いました。

 

ちなみに無事に6年に進級しました。

 

今週のお題「自己紹介」

お題「もう一度行きたい場所」

発達障害とか、ボーダーとか、頭の良さとか。

自分が完全には異常ではないにしも、ある程度は異常だと認識することが始まりだと思う。
本当に今の状況の改善したいのであれば、悲惨な過去は今更変えようが無いし、身内がダメだったらカウンセラーに頼るか、自分自身で認知を変えるしかない気がする。
つまり、自分の感情に振り回されないで、本当に良くなりたい気持ちが大事なんだよね。
やっぱ、そういう面でも、自分のメンテナンスがきちんとできる本質的な頭の良さが大事なんだなあと実感する。
ボクは本質的な頭の良さが一番大事なんだと思うんだけど、これって結局は精神的な強さも一部に含まれている気がする。
ナチス強制収容所に収容されても、切り抜けられる力は本質的に頭が良いといえる一部だと思う。

まとめると、
頭の良さとは
1. 勉強ができる
2. 自分のメンテナンスができる
3. 精神的な不調をきたしにくい
って感じなのかな。

自分にとっての物事の価値や、外的な影響って、自分の精神性が決めていると思うんで、精神を健康に保つことが何事にとってもかけがえのないものだと思う。
この能力があれば、業績をどんどんあげられるし、窮地に陥っても回避することは容易そう。
ボクはこの力がないんで、鬱々としてるんだよね。

お題「最近涙したこと」

ボクが本当にしたい事。。。

ほそぼそと更新してますよっと。

自分が本当にしたいことって一体なんなのか分からなくてつらい。
小中高までの小さい頃の自分はゲームをすることが本当に楽しかったのは間違いないし、このときの自分にとってゲームをすることが自分の人生を生きることに等しかった。
でも高三ぐらいからちょっと雲行きが怪しくなってきた。
自分の中に潜んでいる陰鬱さが顔を出し始めたのはこの時期からだった。
夏目漱石の「こころ」や森鴎外の「舞姫」などの純文学を読んだり、メンヘラな同級生が居たりして、他人の人生というものを垣間見た気がして、自分の人生というものを考え始めた。
だから人生や生命・精神を扱える仕事として医師というものを選択したく、医学部に入学したわけである。

入学したから複雑なものを考えられたかと言えばそうではなく、大局的な人生というものは学問の中であまり取り扱いすることはなく、個々のミクロな病態について学習するという有様であった。
それでも医学部を選んだことをそれほど後悔しているわけではない。
机上の空論を勉強しているより、身近なものについて勉強している方が遥かに応用が効くからだ。
医学部では他の学部と違って、卒業した学生の99%は医者になる。
学生の殆どが医者になることに注力するみたいで、それってどうなのかなと思っている。
ボクが彼らと決定的に違う点は仕事をすることが自己実現に繋がるとは考えていないということなのである。
とはいえ、だからどうしたいの? と聞かれても口籠もってしまうのがまた痛いところで、今のボクは致命的な窮地に陥っている
知り合いの中にはどうせすることないし仕事するって言う人もいるけど、最近はそういう人の気持ちも分かりつつある。
だけどボクは自分の人生をもう少し追求したいと思っている。
ただ周りに流されて生きるのでは無く、せめて主体的に行動したいと考えている。

 

お題「誰にも信じてもらえない体験」

情熱 go away.

ブログ村から医学部受験する人のブログみていた。
みんなものすごく情熱があって凄いなあと思う。

 

対して、今の自分の気持ちはどういうものなんだろうと思った。
昔のボクは彼らほどでは無いけど、ある程度燃えていたのは事実だった。
入学した当初は夢みたいなものがふんわりと頭の中に存在していた気がするが、今は頑張って思い出そうとしても思い出せない。
リアルの生活では表面上はある程度明るく振る舞っているけど、心の中の気力は尽きている。

病院見学で分かったこと

先週何個か見学に行きました。

病院によって条件面での差は色々とありました。

地域、採血、研修医の人数、内視鏡できるかどうか、給料、出身大学、オンコールの有無などなど。

初期研修はどこでやっても一緒って言われてますが、細かい条件面では結構異なってそうなんで、自分にとってベストな条件のところに行きたいものです。

 

今週のお題「卒業」

お題「受験」

病院見学とか就活とか。

ブログ更新途絶えてましたが再開しますよ~。

病院見学とか就活とか。
なんて言ったってめんどくさい。
だけど大学病院には行きたくないから、仕方なくやっているという感じ。
アカデミック指向だったり、権力志向じゃない限り積極的に残る理由はよく分からない。
女性は結構大学病院指向の人が多いけど、なんでだろうね。
やっぱ研修医の数が多いから婚活する上で有利なんだとか、真面目ぶりたい感じなのかしら?
男性だと就職無気力勢か、勉強大好き勢、彼女が大学にいるから、地元の四択ぐらいっぽい。
研修医になったとしても採血や書類書きなどの雑用ばかり押しつけられて、肝心なことを学びにくいのはどうかなって感じがします。
まあフィジカル的には楽っていうウワサもあるんですけどね。。。
でも、自分はさっさと自分の道を選ぼうと思います。
医療ニュースサイトのM3かどっかで、40代で大学病院に残っている医者は10%程度って読んで、自分の意見とおじさんの大多数の意見と一致してるからそんなに間違って無いと思います。

 

とはいえ新専門医制度がf**kすぎてそうはいかないかもしれないですがね。。。
大学病院に権益を集中させるf**k制度。

 

常識的に考えて、過疎地で働くメリットがないから、過疎になるわけで、魅力的にすればまともな人材は集まると思うよ。
なのに、「やりがい」だけ掲げられても誰もくるわけないじゃん。
最近実際に地域医療の現場をみてビックリしました。
「医者は来て当然」「いつでも診ろ」「見学させてやる」的なことをマイルドに言っているので耳を疑いました。
ペイシェントできない横暴なペイシェントが多すぎて、驚愕しましたね。
まあ東京の人も言いそうだけどね。
田舎が田舎になっていく理由がよく理解できました。
能力無くて、他人に媚びを売るのが上手い人が生き残るって感じなのかな。
能力ある人はアメリカを目指したように、日本だと東京を目指すっていうかんじ。

まず田舎に医者を派遣させるなら、教授から順番に行ってくださいって感じです。
せめて、給与は東京の2倍にしないと誰も来ないと思うよ。
それでも、現代文明をいつでも享受できる立場とか、子供の教育のことを考えると、お金だけでは厳しいとは思いますがね。

 

 

就活の話の話に戻ります。
発達障害気味の自分にとっては、慣れない場所で無難に振る舞うことも、電話をすることも、メールを送ることもすら負担に感じてしまうんですよね。
それこそエビリファイ飲んでみたいくらい。(アルコールは自分にはあまり効かない感じなのでデパスは意味無さそう。)

医療系以外の職業だと、買い手市場と聞いているので、どれだけ大変かは想像に絶します。
数十件も面接に行くとかは自分の環境からは考えられないです。

そういう意味も含めて、最近では、一般の会社員とか、車作っている人とか、商社の人とかは尊敬するようになってきた。
実際に日本の富を生み出しているのは彼らです。
だから近頃は産業医に興味があったりもするんですよね。

 

お題「最近涙したこと」

f※※kがたくさん

したっぱのうちは苦労しろとかいうけど、それは本心から言っているのかどうか気になっている。

ボクはそのようにはとうてい思わないし、避けられる苦労は避けるほうが良いと思っている。

 

何がf※※kかというと数え切れ無いほどあって、上の立場の人間に対して機嫌取りをさせられたり、金が支払われ無いのに無駄に拘束させられたり、半分ぐらいの医者が寝ている無価値なカンファに人数合わせのために参加させられたり、新しい診療科で実習が始まって集合したにも関わらず学生を無視したり、など要するに無数に存在する。

 

他の友人に腹がたたないかと聞いても、ムカつくけどそういうものだと考えていると言う人ばかりだ。

確かにそういう風に受け入れてしまえば楽だし、心に波風がたたないかもしれない。

それに儒教文化では目上の人が偉いし、従うべきなのである。

出世?できるのもこういう人なのだと思う。

 

しかし、自分が根源的にオカシイと思った事を受け入れてしまえば、その後の人生の方向性も狂ってしまう、という文章を読んだ記憶がある。

自分が自分にしかできないことがあるかどうかはよくわからないが、この部分は侵さずに今のところは保っている次第である。