医学部6年のタカパラさん。

なんて生きにくい、この世界の中で。医学生やってます。

エチゾラム+発達障害=?

学生の立場では多くの患者を診ることは少ない。

病気というものの治療法は統計から導かれているものである。

我々が学ぶ医学はその賜物である。

しかし抗癌剤治療や、精神科的な治療の一部ではアートの要素が存在する。

大まかな治療方針は存在するのだが、細かい部分ではオーダーメイドなのである。

 

たとえば、

発達障害を持っている知り合いはFPSというジャンル(一人称視点対人シューティング)のゲームをする前にデパスエチゾラム)を内服しているらしい。

内服後はテンションが上がり叫びながらゲームをしているらしい。

この話を聞いて、杉山登志郎先生が発達障害者に高不安薬を与えることは行動化を促すだけで禁忌だと言っていたことを思い出した。

一般的に禁忌とされていないが、杉山先生はこのような考えを持っているのだ。

たくさんの症例を経験する内に自分なりの治療方針の哲学が定まっていくのは精神科の魅力の一つであると感じている。

ガイドラインに従うだけの医療は、つまるところロボットでも内科的な治療を立てることができるからである。

自分は自分にしかできないことをしたい。

仕事と趣味

小さい頃は何をしても楽しかった。

幼稚園の頃からテレビゲームが好きで、母親から止められない限り一日中やっていた。

小学校の頃は他にすることもなかったし、友人と遊ぶにしてもテレビゲームがもっぱらであった。

高校でも引き続きゲームはしていたけど、パソコンとインターネットを覚えた。

莫大な情報量に圧倒され、自分の無知を知らされた。

その頃、もっと頭がよくなりたいという欲求が芽生え、医師になることを志した。

机に向かって勉強をする分には両親は文句を言わない。

それ以降、勉強とゲームやインターネットなどの娯楽との比率が半々になった。

浪人し始めたころからゲームへの魅力が失われ始めた。

大学に入ったあとはただの暇つぶしをする道具に成り果てた。

最近は何をしてもピンとこない。

飲み会にいっても少しだけ楽しいぐらい。

勉強も少しは楽しい。

ゲームやインターネットをしても少しは楽しい。

楽しいことに関しては昔の方が感覚が鋭敏だったけど、最近は鈍ってきている。

苦しいことはほぼ横ばい。

 

ある程度は周りの環境に依存した人生を送ってきていたが、そのような環境を取っ払った時、自分はどのように考え、どのように行動したか気になる。

自分は周りの環境やあまり良くない人から悪い影響を受けることが多かったと考えている。

一切周りからの影響を受けない環境が存在しないことは分かっている。

だけど、自分が楽しかったことを邪魔されたくなかった。

 

お題「この色が好き」

エチゾラム、ゾピクロンの向精神病薬指定

なんだかんだでデパスは万能薬だったんで、向精神病薬指定は結構な痛手な気がする。

従来は何かがあったらデパスだったけど、これを契機に処方が改善するかもしれない。

以前、容量は忘れたけど、1錠だけ飲んでみたことがある。

精神的作用も、眠気に関しての作用もあまり感じることが出来なかったことを覚えている。

 

ゾピクロンの指定に関しては、アモバンが含まれているのは明かだというコンセンサスが得られている。

しかしルネスタはどうかという問題があがっている。

厚労省の掲示しているPDFを読む限り、「その異性体も含む」と書いてあるから、S体、R体の療法を含むわけで、ルネスタも含まれていると自分は考えている。

ゾピクロンに関しては1錠だけ飲んでみたことがある。

妙な苦みが口の中に持続していたことを覚えている。

水を飲んでも口の中が苦く、いくら飲んでも苦みはとれなかった。

お茶を飲むと、その苦みは一層協調された。

だけど、そのときラーメンを食べたけど、対してそれには影響が無かったような気がする。

ただ単にそのラーメンをあまり食べたことが無いから、元の味が分からないだけなのかもしれないけど。

こちらの薬も眠気に関しては殆ど影響が無かった。

 

特にデパスは作用が強く、広く認知されていて使用されていたため、精神科領域、整形、カジュアルアビューザー、いずれの方面にも影響が大きいと思われる。

 

お題「最近涙したこと」

QB酷使

先日QBを解いたところ、一日で100問近く解くことができた。

予想以上に進んだことが自分にとって意外であり、この先なんとかなる気がしてきた。

国家試験は偏差値30程度で受かるみたいだし、それほど未来は暗くない気がする。

 

お題「二学期の目標」

優先順位

自分の場合、優先順位をつけることがかなり苦手で、目の前の快楽的なものにすぐ惹かれてしまうことが多い。

例えば、好きな食べ物を見たら、自分の体重のことを気にせずに大盛りを注文してしまったり、すぐにスマホをいじって適当なゲームで時間を潰してしまったりとかだ。

自分にとって有意義である、ここのブログを更新したり読書をしたりしたいのだが、なんだかんだで他の余計なものに気を取られてしまう。

部屋の片付けも苦手だし、課題には本当の直前までとりかからない。

QBも一冊も読んでいないし、このままでは国試にすら合格できない自体になるかもしれない。

 

なんとかして長期的な目標を絶えず追求できるようにしないと、人生において何も成し遂げられない気がする。

このまま流されるように行動していては単なる勤務医として一生を終える気がする。

これで幸せな人もいるだろうが、私は私にしかできないことをしたい。

今はまだ将来が見えないけど、自分にとって大切なことを少しだけでも続けていけば、なにか見えてくる気がする。

そう信じて、遥か遠くを見通すように行動していたい。

 

お題「今日の出来事」

未来の光度(カンデラ)

最近昔のことばかり思い出される。

今はもう会っていない人たちのことや、昔遊んだゲームのこととか。

 

今に満足できていないから昔のことばかり考えてしまうのだと思う。

自分の将来が明るいか暗いかで言ったら表面的な他人からの眼でみたら明るいと言えるし、主観的な眼でみたら必ずともそのようには言えない。

やはり自分が幸せが感じる度合いは主観によるものが大きい。

強制収容所に居ても自分の境遇を悲観しない人は確かにいるし、私のように衣食住不自由しなくても大して毎日に幸福を感じれない人もいる。

 

どのようにしたら昔の眼に宿った輝きを取り戻せるか色々考えているが、中々上手く行かない。

昔みたいに馬鹿騒ぎをしようとしても、どこかですぐ白けてしまうし、私に構ってくれる人はいない。

他人が何を考えて彼らの道を進んでいるかもよく分からない。

というか、今の状況を打破しようとしても、考えることができなくて、悩むことしかできない。

主観的な物事は冷静に考えることが難しいと思う。

 

私ができることは死ぬことを選択せずに、せめて今の道を消極的に進むことなのだ。

学生としての振る舞い

医師が診察する前段階としての問診が自分にとっては荷が重い。

対人関係を築くのが苦手だからだ。

相手から好意を持ってくれていれば、話しかけていくのはまだましだ。

しかし、男性には多いのだが、無愛想なペイシェントもいて、そういった人たちと接していくのは本当に気が重い。 

まれにとても話したがるペイシェントもいるが、その話の遮り方も色々と神経を使ってしまって気後れして話の折りどころに困ってしまう。

相手の楽しみを奪って良いのかという気持ちが沸き上がってしまうからだ。

 

こういった苦労もあるが、生身の人間として接するのではなく、いわば医師としてのペルソナを身につけていけばなんとかなるのではないかとは最近考えている。

不快なことを真剣に吟味せず、目の前のオブジェクトを淡々と硝化していくという姿勢が身につけばもっと生きやすくなると思っている。