医学部6年のタカパラさん。

なんて生きにくい、この世界の中で。医学生やってます。

医師としての適正

医師としての適正を図ることは難しい。

ほとんどの医学部では入学者の9割近くが卒業して医師になると思われる。

そのため、医学部入試が医師としての適正を試す唯一のテストと言っては過言では無い。

一般的な大学の前期試験では学科試験(センター試験+二次試験:英語、数学、理科、理科)と、面接試験が課される。

また学科試験と面接試験の点数の割合比率は9:1である。

つまり学科試験が最大の難関なのである。

よく世間では数点で合否が決まると言われており、面接試験も重視されているのでは無いかと思うかもしれない。

実際は面接試験ではそんなに差がついていないように思われる。

点数の内実は、試験監督3人で30点もっていて、1郎ごとにマイナス5点、特段におかしく無い人にはさらに70点加算されるといった大学がほとんどであるように思われる。

つまり結局のところ、ほとんどが学科試験で決まるというのが、自分の考えだし、大学側も勉強することに優れた人間が欲しいのだろうし、そういう人間が医師としての適正があると考えているのだろう。

 

私は医学生としての生活が順風満帆であるとは言えない。

人見知りは結構するため、色々な人と関わるのが苦手だし、

また、一人ひとりの患者と接することが私の人生においてどのような哲学的な意味があるのが分からないし、そのことにより何か社会を変革するような影響を与えられているかがよく分からないからだ。

だから、何か、医学や将来の医師としてのキャリアを積む以外に何か活動していたかった。

ブログを書くことがひとつの目的で、最近では他に芸術系の活動も始めている。

こういった活動が将来的に芽となり、自分を救うかもしれない。

 

そうかといえば、こういった事を忘れて、もしかしたら将来は医師としての活動に誇りを持つかもしれないですが。

QOML & 就活

といっても今はネットでしているだけ。

研修医のうつ病罹患率が3割だと噂されているけど、真偽は怪しい。

昔は自分も罹ってしまうのでは無いかと考えていたが、ちゃんと働く病院を決めればそういうことは起こらなさそうだと考えている。

つまり自分にとっては、いわゆるQOML重視で考えれば良さそうな気がする。

初期研修を途中でやめる人は1割程度いるらしいが、もう一度就職先を探すのはとても大変なことだと思う。

だから途中でやめるという選択肢を取らざるを得ない時点であまり良くない選択をしていると言える。

自分は体力的にあまり恵まれていないし、体力の問題が精神と絡みやすいので、できるだけ元気な状態を維持したいと考えている。

医師や学生の中には、楽をするのはけしからんと言う人がいるが、人それぞれ違うと思う。

体力がある人はそれを活かして、活動すれば良いし、頭の回転が速い人はそれを使えば良いと思う。

自分のできることを磨いていれば、自分にしかできないものが見つかるような気がしている。

無理に他人の立派な指示に従うことは、あまり身にならないような気がする。

自然に立派な指示に従う人に勝てるわけ無い。

 

自分はQOML重視で考えているが、他人はそのような視点を持っている人が少ない。

病院実習は適当にやっている人でも就職したらきちんとしたいと言っている人が多い。

仕事を自己実現と同一視しているのでは無いかという気がする。

私は自分の考え方が間違っているとは思っていないが、他人に対してQOMLを重視する方が良いとは言っていない。

なぜなら私のような考えをする人が増えたら、安くて使いやすい研修医という労働力に支えられた日本の医療が崩壊しうるからである。

そうなれば全員にとって損失だといえる。

エチゾラム+発達障害=?

学生の立場では多くの患者を診ることは少ない。

病気というものの治療法は統計から導かれているものである。

我々が学ぶ医学はその賜物である。

しかし抗癌剤治療や、精神科的な治療の一部ではアートの要素が存在する。

大まかな治療方針は存在するのだが、細かい部分ではオーダーメイドなのである。

 

たとえば、

発達障害を持っている知り合いはFPSというジャンル(一人称視点対人シューティング)のゲームをする前にデパスエチゾラム)を内服しているらしい。

内服後はテンションが上がり叫びながらゲームをしているらしい。

この話を聞いて、杉山登志郎先生が発達障害者に高不安薬を与えることは行動化を促すだけで禁忌だと言っていたことを思い出した。

一般的に禁忌とされていないが、杉山先生はこのような考えを持っているのだ。

たくさんの症例を経験する内に自分なりの治療方針の哲学が定まっていくのは精神科の魅力の一つであると感じている。

ガイドラインに従うだけの医療は、つまるところロボットでも内科的な治療を立てることができるからである。

自分は自分にしかできないことをしたい。

仕事と趣味

小さい頃は何をしても楽しかった。

幼稚園の頃からテレビゲームが好きで、母親から止められない限り一日中やっていた。

小学校の頃は他にすることもなかったし、友人と遊ぶにしてもテレビゲームがもっぱらであった。

高校でも引き続きゲームはしていたけど、パソコンとインターネットを覚えた。

莫大な情報量に圧倒され、自分の無知を知らされた。

その頃、もっと頭がよくなりたいという欲求が芽生え、医師になることを志した。

机に向かって勉強をする分には両親は文句を言わない。

それ以降、勉強とゲームやインターネットなどの娯楽との比率が半々になった。

浪人し始めたころからゲームへの魅力が失われ始めた。

大学に入ったあとはただの暇つぶしをする道具に成り果てた。

最近は何をしてもピンとこない。

飲み会にいっても少しだけ楽しいぐらい。

勉強も少しは楽しい。

ゲームやインターネットをしても少しは楽しい。

楽しいことに関しては昔の方が感覚が鋭敏だったけど、最近は鈍ってきている。

苦しいことはほぼ横ばい。

 

ある程度は周りの環境に依存した人生を送ってきていたが、そのような環境を取っ払った時、自分はどのように考え、どのように行動したか気になる。

自分は周りの環境やあまり良くない人から悪い影響を受けることが多かったと考えている。

一切周りからの影響を受けない環境が存在しないことは分かっている。

だけど、自分が楽しかったことを邪魔されたくなかった。

 

お題「この色が好き」

エチゾラム、ゾピクロンの向精神病薬指定

なんだかんだでデパスは万能薬だったんで、向精神病薬指定は結構な痛手な気がする。

従来は何かがあったらデパスだったけど、これを契機に処方が改善するかもしれない。

以前、容量は忘れたけど、1錠だけ飲んでみたことがある。

精神的作用も、眠気に関しての作用もあまり感じることが出来なかったことを覚えている。

 

ゾピクロンの指定に関しては、アモバンが含まれているのは明かだというコンセンサスが得られている。

しかしルネスタはどうかという問題があがっている。

厚労省の掲示しているPDFを読む限り、「その異性体も含む」と書いてあるから、S体、R体の療法を含むわけで、ルネスタも含まれていると自分は考えている。

ゾピクロンに関しては1錠だけ飲んでみたことがある。

妙な苦みが口の中に持続していたことを覚えている。

水を飲んでも口の中が苦く、いくら飲んでも苦みはとれなかった。

お茶を飲むと、その苦みは一層協調された。

だけど、そのときラーメンを食べたけど、対してそれには影響が無かったような気がする。

ただ単にそのラーメンをあまり食べたことが無いから、元の味が分からないだけなのかもしれないけど。

こちらの薬も眠気に関しては殆ど影響が無かった。

 

特にデパスは作用が強く、広く認知されていて使用されていたため、精神科領域、整形、カジュアルアビューザー、いずれの方面にも影響が大きいと思われる。

 

お題「最近涙したこと」

QB酷使

先日QBを解いたところ、一日で100問近く解くことができた。

予想以上に進んだことが自分にとって意外であり、この先なんとかなる気がしてきた。

国家試験は偏差値30程度で受かるみたいだし、それほど未来は暗くない気がする。

 

お題「二学期の目標」

優先順位

自分の場合、優先順位をつけることがかなり苦手で、目の前の快楽的なものにすぐ惹かれてしまうことが多い。

例えば、好きな食べ物を見たら、自分の体重のことを気にせずに大盛りを注文してしまったり、すぐにスマホをいじって適当なゲームで時間を潰してしまったりとかだ。

自分にとって有意義である、ここのブログを更新したり読書をしたりしたいのだが、なんだかんだで他の余計なものに気を取られてしまう。

部屋の片付けも苦手だし、課題には本当の直前までとりかからない。

QBも一冊も読んでいないし、このままでは国試にすら合格できない自体になるかもしれない。

 

なんとかして長期的な目標を絶えず追求できるようにしないと、人生において何も成し遂げられない気がする。

このまま流されるように行動していては単なる勤務医として一生を終える気がする。

これで幸せな人もいるだろうが、私は私にしかできないことをしたい。

今はまだ将来が見えないけど、自分にとって大切なことを少しだけでも続けていけば、なにか見えてくる気がする。

そう信じて、遥か遠くを見通すように行動していたい。

 

お題「今日の出来事」