受験勉強と言う名の投資
ぼくの部屋には机が無かった
勉強というのも投資の一部だと考えられている。
特に受験勉強は最も効率の良い投資の一つで、しかも資金も必要なく、必要なのは時間だけだという特殊性がある。
なら、時間が有り余って仕方が無い貧困層の受験生が有利であるかと言えば、全くそのような訳はなく、やはり富裕層が有利であるのは数々のデータから明らかである。
いくつか理由は考えられるが、以下の2点が大きいのだと思う。
1. 受験ノウハウの不足
2. 学習環境の不備
1. について。
ノウハウと言っても色々あるが、参考書の選択にしろ、模試の受験方法にしろ、一般の進学校では自然に身についている知識が欠けていることが多い。
数学ならチャートか1対1、理科なら重要問題集を解くだけで医学部ならどこでも合格する。
と言われるが、「解く」という言葉自体の意味も難しい。
どういう段階で始めて「解く」と言えるのか、一度だけ解けたら良いのか、復習の頻度はどれくらいか、などの細かい知識を埋めるには深すぎるギャップが存在する。
2.
ぼくの部屋には机が無かったし、落ち着いて勉強できる状態では無かった。
だったら図書館へ行けば良いかと言えばそうではなく、大抵の公営の図書館は自習が禁じられている。
だから勉強するためには学校に18時まで残るか、公民館へ行くしかなかった。
授業は16時半ぐらいに終わるが、1時間半程度では少なすぎるし、公民館へ行くには自転車で20分程度かかる距離だった。
バイトして学費を稼げと言われるほど貧困では無かったが、参考書が欲しいというと小言を言われる状況だった。
そのため、Book Offで揃えることが多かった。
それでも受験格差はインターネットのおかげで狭まりつつあると思う。
情報の質はピンキリだったが2ちゃんねるが役立ったし、そのリンク先はかなり役立った。
パソコンが無ければ今の自分は存在していないと言える。
このおかげで気軽に情報が手に入り、世界が個人個人の手のひらに収まりつつあると言っても過言ではない。
情報の格差が狭まれば、本当に能力がある人が発掘される時代になりうる。
無味乾燥な受験勉強が長けている人が評価されることより、能力が素晴らしい人が評価される方が(困る人はいるだろうが)論理としては整合性がある。